WILD THINGS

vol.5 前編
Shogo
 
モデル
――ファッション誌、CM、広告でもお馴染みのShogoさん。でもクールなイメージのモデルという職業とは違った、熱い印象があるよね。
Shogo:そうですか? たしかにいろいろなことを、自由にやってる方だとは思います(笑)。
――モデルを始めたきっかけは?
Shogo:ずっとサッカーをやってきて、19歳のときに怪我をしてできなくなりました。それから何かやりたいと思って、モデル事務所に応募しました。
――Shogoさんは高校時代にインターハイで3位になるほどの実力者。サッカーを辞めることは簡単だった?
Shogo:じつは高校で全国3位になった時点で、燃え尽きたような気がしてた。だから19歳で辞めようと思ったのも、未練はなかったですね。
――モデルの仕事は在学中から始めたの?
Shogo:はい。たまたまいい事務所に応募してて、社長とも波長が合って、スムーズに始められました。大学卒業後には香港に行って、向こうのマネジメント事務所とも契約して活動していました。
――2000年代だから、日本人モデルがブームでもあった頃かな?
Shogo:僕が行った頃はやや落ち着いてたけど、香港はモデルの価値も高くて、日本との差に驚きましたね。それから徐々に欧米で活動したいと、2010年にロンドンに行くことを決めました。
――でも日本でも仕事は順調だったよね?
Shogo:そうですね。でも2009年から売り込みのブックを作り始めて、準備はしてました。正直いうと、事務所の社長には反対されて、啖呵を切って飛び出したような形でしたね。
――そうなんだ。でも欧州で日本人モデルが活躍するのは、簡単なことじゃないよね?
Shogo:はい、当時は今と比べてとくに身長の違いが大きかった。今よりも大きい185~188㎝が求められてた印象です。僕はまずロンドンに行って、一週間かけてエージェントを回り切りました。でも全然反応がない。それじゃあと、パリに行って回っても手応えがない。このままじゃ日本には帰れないと、すぐNY行きのチケットを買って飛んだけど、NYも同じでした。NYでモデルのDaisukeに会って、「おれも最初は厳しかったよ」と励まされたりしてね。それからロンドンに戻って連絡を待ったけど、状況は変わらなかった。もう向こうでは、打ちのめされましたね。マジで泣きましたもん。そんな落ち込んでるなか、お世話になったスタイリストさんから「笑ってる人に、人は集まる」と聞いて、気付かされた。結局、モデルという仕事も人柄が大事なんだって。自分自身の今のモードではダメだと諦めて、一か月ほどで帰国しました。
――それからまた日本で仕事を再開したの?
Shogo:はい。もう一回よろしくお願いします、という形で。ただ以前のように気持ちが乗らないところはありました。そして間もなく、2011年に東日本大震災が起きたんです。被災地の状況をテレビで見たら、頭をトンカチで叩かれたような衝撃を受けた。また自衛隊や消防士、レスキューの人たちを見てたら、おれは何やってるんだろう? モデルって職業ってあまり意味ないんじゃない? このままじゃマズい、という思いにかられて。それで一か月後にモデル仲間やロケバスのドライバーさんらと、ボランティアに行くようになりました。
――それからボランティアの活動が始まったんだ。
Shogo:初めは一か月毎週通って、のちの7月に石巻市のヤマユ佐勇水産の佐藤さん夫婦と出会ったんです。佐藤さんたちは津波に襲われて失い工場を失い、家も流されて避難所生活をしていた。工場再開のための作業を手伝っていたのですが、佐藤さん夫婦は一言も喋らないんです。僕らには想像できないようなショックを受け、追い詰められてるような気がしました。何が何でもサポートしようと思い、作業が終わったら「来週また来ます」と告げて帰っていましたね。それからちょっとずつ作業が進んで、笑顔も見られるようになった。工場が再開できる頃には、僕らも家族みたいになってました。僕は2012年に結婚したのですが、石巻でサプライズの結婚式までしてもらえたんですよ。
――それは嬉しいね!
Shogo:石巻の多くの人に祝ってもらえて、僕にとっては本当に特別な存在、第二の故郷ですね。その頃、石巻の金華山の復興が遅れているという話を聞きました。金華山は近隣の方々の心の拠り所で、自然の中に神社だけがある島。震源地にもっとも近い島でもあり、鳥居や石畳、灯籠なども崩れていました。でも本島から離れた島ということもあって、作業にあたっているのは、77歳のおじいちゃんと神主さんのたったの二人だったんです。
――それからは金華山の復興作業に行くようになったの?
Shogo:はい。その頃には「This is a pen」という復興支援団体を立ち上げて通っていたのですが、若いメンバーが多く、毎月の交通費の継続が厳しくなっていました。そこでクラウドファンディングを行い、予想以上のご支援をいただいて、復興活動が継続できた。5年ほどかけて、ついには丈夫な金華山の芝で作った参道までできて、本当に嬉しかったですね。金華山でもはじめは距離があったけど、おじいちゃんと神主さんにも喜んでもらえて、地元のお祭りの集まりに招かれるくらい親しくなれましたし。
――復興を手伝いながら、Shogoさんにとってもプラスになる部分があった?
Shogo:改めて振り返ると、そんな気がしますね。当時は夢中だったけど、モデルの仕事や日常だけではできない経験がたくさんありました。また立ち上がっていく姿勢にこちらが励まされて、プラスの活力になった部分はあると思いますね。
モデルとして活躍しながら、東日本大震災のボランティア活動を継続し、
クラウドファンディングまで成立させたShogoさん。
次回はさらに、活躍のフィールドを広げていく姿に迫っていきます。
Profile
Shogo/ 
1985年愛知県出身。2007年からさまざまなファッション誌、CM、広告で活躍。
東日本大震災の発生からボランティア活動を行い、復興支援ボランティア団体「This is a pen」の代表を務める。
2018年にはモデルエージェンシー「VELBED.」を設立。
多くのモデル仲間、業界を問わず慕われる存在で、マルチな活躍を見せている。
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